片岡治大の現在と家族の真相|ベッキーとの今と巨人退任の深層 - 複眼インデックス
片岡治大の野球人生を語る上で欠かせないのが、パ・リーグを席巻した圧倒的なスピードと勝負強さです。東京ガスから2004年ドラフト3巡目で西武ライオンズに入団すると、翌2005年から俊足の内野手として頭角を現しました。
特に2007年から2010年にかけて達成した4年連続盗塁王の偉業は、球団史のみならずNPBの歴史に深く刻まれています。2008年には最多安打(167安打)のタイトルも獲得し、切り込み隊長としてチームの日本一、アジアシリーズ制覇に大きく貢献しました。2009年の第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では日本代表として随所で神がかった走塁を見せ、世界一の立役者の一人となった場面は今も語り草です。
また、キャリアの途中で登録名を「片岡易之」から「片岡治大」へと改名した理由についても多くのファンが関心を寄せています。改名が行われたのは2012年12月(2013年シーズンから適用)。当時、片岡は度重なる右肩や手首、下半身の故障に悩まされ、出場機会を減らしていました。
本人が当時メディアの取材に語ったところによると、怪我の連鎖を断ち切るために親族や信頼できるアドバイザーと相談し、姓名判断や風水の観点から最も運気が好転する画数を選定した結果が「治大」でした。「心機一転、怪我を治して大きく羽ばたく」という切実な祈りが込められた改名劇であり、その後巨人に移籍してからもこの登録名を使い続けました。