徳川家康の死因は胃がんか天ぷらか?真相と最期の遺言を徹底検証 - 複眼インデックス
徹底した健康オタクであった家康ですが、その強い自負こそが晩年の病状管理において皮肉な影を落としました。田中城で倒れた後、家康は駿府城に戻って療養に入りますが、名医として知られた幕府の侍医・片山宗哲らの診察や投薬を拒否し、自らが調合した「万病円(まんびょうえん)」などの丸薬を頑なに飲み続けました。
当時の記録によると、侍医の片山宗哲は家康の腹部のしこりを触診し、「これは冷えによる一時的な腹痛ではなく、内臓に根深い病巣がある。強い下剤や刺激性の丸薬を服用するのは危険である」と進言しました。しかし、長年自らの医学知識で健康を維持してきた家康はこれに激怒し、宗哲を信濃国へ配流(追放処分)にしてしまいます。
現代の医療心理学の観点から見ると、これは「自己の成功体験への過剰な固執」と解釈できます。自らの力で戦国の修羅場をくぐり抜け、健康をもコントロールしてきた絶対的な成功体験が、専門医の客観的な診断を受け入れられない心理的防衛反応を生み出してしまったのです。結果として、胃粘膜を刺激する強い生薬の服用が胃がんの進行を早めてしまった可能性は否定できません。