安室奈美恵『Try Me』大逆転劇の真相!平成の歌姫誕生秘話を徹底解剖 - 複眼インデックス
ネット上の言説では時折、「『TRY ME』自体がミリオンセラーだった」あるいは「ヒット後すぐに小室哲哉へ乗り換えた」といった誤解が見受けられます。しかし、一次資料や当時の業界動向を精査すると、そこには綿密な戦略とプロデュースのバトンタッチが存在していました。
まず売上面において、シングル単体でのミリオン達成は次作以降の小室哲哉プロデュース期(『Chase the Chance』『Don't wanna cry』など)ですが、『TRY ME』を核としたアルバムがミリオンを突破したことで、業界全体に「安室奈美恵=メガヒット歌手」の認識が定着しました。
さらに重要なのが、東芝EMIからエイベックスへの移籍経緯です。当時、楽曲のユーロビート制作を担当していたエイベックスの松浦勝人氏と、同社でメガヒットを連発していた音楽プロデューサー・小室哲哉氏の連携により、安室奈美恵の才能を世界水準のダンスポップへ昇華させる計画が水面下で進行していました。1995年10月発売の『Body Feels EXIT』から始まる小室プロデュースへの移行は、偶発的な思いつきではなく、『TRY ME』で証明されたポテンシャルを最大化するための必然的な一手だったのです。