佐世保レモンステーキの真相!名店「時代屋」「門」と鉄板ライスの掟 - 複眼インデックス
佐世保レモンステーキの成り立ちを語る上で避けて通れないのが、佐世保レモンステーキ発祥の店として知られる「れすとらん門」と、それを全国区の知名度へと押し上げた「下町の洋食時代屋」の兄弟の物語である。昭和40年代(1960年代後半)、旧日本海軍の鎮守府が置かれ、戦後は米海軍基地の街として栄えた佐世保には、アメリカ文化の象徴として分厚い赤身のステーキが定着していた。しかし、当時の一般的な日本人にとって、分厚く大味な赤身ステーキは胃にもたれやすく、価格面でも敷居の高い高級品であった。
この状況を打破しようと試行錯誤を重ねたのが、当時「れすとらん門」で腕を振るっていた東島新吾氏と、実弟の東島洋(ひろし)氏である。当時の特番インタビューや創業家の証言によると、「すき焼きのように親しみやすく、かつ洋食の華やかさを失わない新しい牛肉料理を作れないか」という発想がすべての出発点だったという。脂の甘みがある牛肉を薄切りにし、日本人が好む醤油ベースに柑橘の清涼感を合わせたタレを鉄板の上で絡める――こうしてれすとらん門 元祖レモンステーキが産声を上げた。
その後、弟の東島洋シェフが独立し、佐世保市吉井町にオープンさせたのが下町の洋食時代屋 レモンステーキである。時代屋は、メディア露出や口コミを通じて「レモンステーキの聖地」として爆発的な人気を獲得した。元祖である「門」がクラシカルな洋食レストランの佇まいを守り続けるのに対し、「時代屋」は活気ある下町の食堂スタイルで幅広い層を惹きつけている。看板をめぐる対立ではなく、一族の創意工夫が二つの名店を生み出し、今日の確固たる文化を築き上げた事実は、食文化史における興味深い一幕といえる。