Japan News 2026

九州の県庁所在地一覧と歴史の深層!県名不一致の真相と博多駅の真実 - 複眼インデックス

By Admin Team • Published on 2026-10-14T19:14:31+00:00

今注目を集めている 九州の県庁所在地一覧と歴史の深層!県名不一致の真相と博多駅の真実について、詳しいまとめを整理して公開しています。

インターネット上の掲示板やSNSでは、都道府県名に関してまことしやかに語られる有名な都市伝説があります。「明治維新の戊辰戦争において、新政府軍に敵対した旧幕府側(賊軍)の地域は、県名と県庁所在地名をあえて変えて格下げされた(例:仙台ではなく宮城県、盛岡ではなく岩手県)」という懲罰説です。

しかし、九州の歴史を紐解くと、この「賊軍懲罰説」が歴史学的にまったく根拠を欠く俗説であることが明白に証明されます。明治維新を主導した薩摩藩(鹿児島県)や肥前藩(佐賀県)は紛れもない「官軍の筆頭」でしたが、鹿児島県も佐賀県も県名と県庁所在地名は一致しています。そもそも明治政府の命名基準は、「旧城下町の都市名を採用した例」と「県庁が置かれた郡の名前を採用した例」の事務的な違いに過ぎず、政治的な懲罰で都市名が奪われたわけではありません。

さらに、1871年(明治4年)の廃藩置県直後、九州地方には現在の7県どころか、細かく分かれた膨大な「県」が存在していました。「小倉県」「三潴(みずま)県」「白川県」「八代県」「美々津県」など、現在では消滅した県名が激しい離合集散を繰り返しました。例えば熊本県は一時「白川県」と名乗っており、大分県には「美嚢県」が隣接していた時期もありました。度重なる統廃合を経て、最終的に現在の7つの県域と県庁所在地に落ち着いたのは明治中期以降のことです。現在の整然とした地図の裏側には、血の通った官民の統廃合ドラマが存在しています。

close